高高サッカー部の絆     金子真左雄(69期)


1.同期の仲間との絆


 高校時代の通学は、信越線(西松井田駅から高崎駅)、駅から自転車。その状態でサッカーが出来たのは、サッカー部の方針。「頭でサッカーJ「練習は効率良く」。高崎駅18時台の電車で帰宅でき、高校生活にゆとりがあったことが大きいと思っています。
 松井田東中学時代は、3中学が統合され最初の卒業生。校庭も整備されず、運動部は野球部中心で当然サッカー部はなかった。私は陸上部で短距離の選手、200mでは市郡大会で新記録で優勝だったが、県大会では予選落ち。実力の無さを実感。
 そんなことで高校では足の速さが生かせるサッカーと思い入部であった。同期の仲間は中学時代にサッカーの経験者が多かったので、単に足が速いだけでウイングに抜擢されたことは幸運だった。走るだけのサッカーって感じだったのであろう。
 仲間に助けられ2年生だけのチームで国体県予選に優勝、関東大会も勝抜き第23回国民体育大会に出場は大変思い出深い出来事。
 サッカー部35・50年史で「素晴らしき仲間」吉野君記、「わが人生最良の時」茂木君記を再読し、素晴らしい仲間を実感。同期とは卒業後も大きな絆で結ばれています。


2.森平文作先生との絆


 高崎高校サッカー部顧間は森平先生、我々同期11名の内9名の結婚式に出ていただいた。教師は教え子の結婚式に呼ばれることは多いと思いますが、同期9名で10回の結婚式出席は多す
ぎ! サッカー部顧間というだけで、東京まで何度も来ていただき、お祝いや交通費とお世話になりました。先生にとっても同学年の結婚式にこれだけ出席も珍しいのでは…。
 先生は毎年サッカー部の総会に出席されており、最近までお会いできたのもサッカー部の絆ですね。


3.サッカー部京浜OB会の絆


 以前勤めていた会社で|ま本社総務、会社トップを訪問するメーカー企業の営業マンが多かった。その中にサッカー部ではないが55期の先輩で、ある酒造メーカートップ企業の方がいた。入社後直ぐに高崎高校出身ということで名前と顔を覚えていただいた。10数年後のある日上野駅地下のラーメン屋に立ち寄った時、空いていたテーブルで新間を読んで顔が分からない人の前に座った。食べていると、名前を呼ばれビックリ、更にビックリは55期中心の高崎高校OB会が
近々開催だ! その中にサッカー部が数名いるので紹介するから参加せよと…。
 同期の仲間と参加すれば55期・56期の大先輩が数名いた記憶がある。その先輩方から京浜サッカー部OB会をやれと言われ、東京でのOB会が発足。それから数年間毎年開催、楽しいひと時を過ごしました。最近は大先輩の方々の出席も少なく、69期と70期のOB会が多い。
 先日の総会で高高サッカー部の絆をより強固にとの話があり、サッカー部京浜OB会復活開催と意気込んでおります。
 35年史で井上工業の井上さんの言葉の中に「サッカー部を強くするために両角兄弟を慶応大学から迎えた。」とあります。その初代コーチ両角さんとも仕事の関係で知り合い、公私共にお世話になった思い出があります。
 私の人生の中で大きな柱の一つが高崎高校サッカー部の絆です。これからもその絆の為にお役に立てればと思っています。


(翠巒体育34号(2015.6.23発行)より転載)